出雲大社3
3注連縄(シメナワ)
注連縄は、神域と一般世界を隔てる結界となり、不浄なものが入らないようにする役目があると言われる。元は、天照大神が天の岩戸から出た際に、再び天の岩戸に入らないようしめ縄で戸を塞いだという日本神話にあるとされ、「しめ」には神様の占める場所という意味があるといわれている。
さて、出雲大社の神楽殿のしめ縄は、長さ大きさともに御仮殿(拝殿)の約2倍あり、長さ13m 太さ8m 重さ4.5トン 日本一大きなしめ縄である。
このしめ縄は飯南町で作られ6年ごとに奉納されている。また、作るために約4500坪分の稲わらをまだ青い状態で(稲が実をつけ黄色くなる前に)刈り取り使用している。
しめ縄は太い部分を頭の綯始(ナイハジメ)とし 細い部分を尻尾の綯終(ナイオワリ)とする。通常は社殿自体から見て左 つまり向かって右が上位なので綯始を左に飾る。つまり、本(太い方)が右、末(細い方)が左(左末右本)で飾ることが多いが、出雲大社は逆の左本右末である。
とはいうものの、島根県の熊野神社、奈良県の大神神社、愛媛県の大山祇神社、愛知県の津島神社 そしてお伊勢さんのある伊勢地方も左本右末とのこと。
4 本殿
鳥居と拝殿と本殿が一直線に並ばず、微妙にずれている。これは銅鳥居が荒垣中央より東にずれているからである。
本殿は神社全体を囲んだ「荒垣(アラガキ) 入口は銅鳥居」 いくつかの摂社とともに「瑞垣(ミズガキ) 入口は八足門」 そして本殿を「玉垣(タマガキ) 入口は楼門」の3重で囲まれている。(伊勢神宮は4重の垣根)(『ホツマツタヱ』によると大国主命はスサノヲから与えられた八重垣の特権に慢心してもう一重の垣根を作り天照大神の御所である九重と同じにした事で天照大神はお怒りになり国譲りをせまった とある。)
通常は八足門は閉じられているが、正月三ケ日だけは 開かれ入ることができる。2008年、遷宮によって御神体が仮殿に移されている間は本殿の入口までであれば御本殿特別拝観の期間にのみ入ることが可能であった。そして、現代においても皇室の者といえど本殿の中に入れないというしきたりを守り続けている。
さて、本殿の造りは「大社造(タイシャヅクリ)」といい、伊勢神宮に代表される「神明造(シンメイヅクリ)」 住吉大社の『住吉造(スミヨシヅクリ)』と共に、もっとも古い神社建築様式とされる。
大社造の特徴は、①ほぼ正方形の古典的な日本家屋に近い「田の字」形 ②屋根の向き?と入口が同じ。神明造の特徴は、①長方形で、高床式倉庫から発展し穀物の代わりに神宝を納めるように変化したもの ②屋根の向き?と入口が逆 である。
通常、拝殿の瓦が参拝者側に流れている造りの社は天津神様を奉る社、拝殿の屋根が山の形の様に左右に流れているのが国津神様を奉る社とされる。
出雲大社本殿の高さは24m。この本殿は9本の柱で支える構造となっており、中央に直径109cmの心御柱があり、北と南に直径87cmの宇豆柱が2本、残りの側柱6本は73cm。本殿の広さは6間(11m)4方で119㎡。
また、出雲大社本殿の建物の中心には『心御柱(シンノミハシラ)』という柱があるが、天井まで届いておらず梁(ハリ)を支えている。伊勢神宮にも建物の中心に『心御柱』を持つ構造だが、床下の地面に埋められており床まで届いていない。この柱の事を神宮では『忌柱(イミバシラ):忌は神聖という意味も持つ』という。伊勢神宮にせよ 出雲大社にせよ建物中心の柱は実用とは関わりのない宗教的な意味の柱である。また 昔の民家にあった『大国(大黒)柱』は出雲大社の『心御柱』が由来である。
さて本殿の天井には赤、緑、青、黄、紫、橙、黒を使って八雲之図が描かれている。
高さ約5メートル、約11メートル四方の天井に描かれ、長さ約4~6メートルの七つの雲が配されている。。
現在の本殿が造営された延享元年(1744年)に完成しており、当時の絵師・竹内随流斉甫記 (狩野派の絵師「黒田弥兵衛」という説もある)によって書かれた。塗り直しをせず270年という歳月が経たにもかかわらず鮮やかな色のままだそうだ。
さて、この八雲之図 3つの不思議なことがあり
①一雲のみ逆向きである。
②一雲 ひときわ大きな雲があり その雲のみ黒い色が使われている。
③八雲と言いながら七雲しかない。
これらの理由は 明らかにはされていないが推測するに
①
日光東照宮の逆さ柱にあるように”陽極まれば陰”を避けるため
②
最も大きな⑦の雲は『心の雲(シンノクモ)』と呼ばれ「八雲の図」中唯一の「黒」が使われている。この黒は遷宮斎行直前の午の刻(正午)に塗られ、塗ることを「心入れ」と呼ぶ。(達磨の目を最後に塗るような感じ)「心入れ」する際は「天下泰平、国土安穏、朝廷宝位、仁民護幸給」などが祈られたとも伝えられる。
③
ⅰ8つ目を描いてしまうと そこで完成してしまうので完成しないことで永続性を求めている
ⅱ神魂(かもす)神社の天井には九雲描かれており、そこへ飛んでいった 等が言われる。
神魂神社の本殿は大社造りでは日本最古(1346年の墨書が見つかる)のもので出雲大社が創建されるとき、神魂神社にならって、本殿の寸法は同じ倍率に設計された と伝えられる。
さて、神社は男神を祀る場合と女神を祀る場合 区別がつくようになっている。
また、男神と女神の両方を祀っている神社は、千木は両方共ありますが、その場合は女神が前で、後ろに男神となります。それは、日本の総氏神さまは天照大神で女の神さまだからです。そういう意味で 家庭の神棚も女造となっています。
なお、参考までに宇多須神社の「瑞雲」は 出雲大社の八雲之図からきている と言われる。
注連縄は、神域と一般世界を隔てる結界となり、不浄なものが入らないようにする役目があると言われる。元は、天照大神が天の岩戸から出た際に、再び天の岩戸に入らないようしめ縄で戸を塞いだという日本神話にあるとされ、「しめ」には神様の占める場所という意味があるといわれている。
さて、出雲大社の神楽殿のしめ縄は、長さ大きさともに御仮殿(拝殿)の約2倍あり、長さ13m 太さ8m 重さ4.5トン 日本一大きなしめ縄である。
このしめ縄は飯南町で作られ6年ごとに奉納されている。また、作るために約4500坪分の稲わらをまだ青い状態で(稲が実をつけ黄色くなる前に)刈り取り使用している。
しめ縄は太い部分を頭の綯始(ナイハジメ)とし 細い部分を尻尾の綯終(ナイオワリ)とする。通常は社殿自体から見て左 つまり向かって右が上位なので綯始を左に飾る。つまり、本(太い方)が右、末(細い方)が左(左末右本)で飾ることが多いが、出雲大社は逆の左本右末である。
とはいうものの、島根県の熊野神社、奈良県の大神神社、愛媛県の大山祇神社、愛知県の津島神社 そしてお伊勢さんのある伊勢地方も左本右末とのこと。
4 本殿
鳥居と拝殿と本殿が一直線に並ばず、微妙にずれている。これは銅鳥居が荒垣中央より東にずれているからである。
本殿は神社全体を囲んだ「荒垣(アラガキ) 入口は銅鳥居」 いくつかの摂社とともに「瑞垣(ミズガキ) 入口は八足門」 そして本殿を「玉垣(タマガキ) 入口は楼門」の3重で囲まれている。(伊勢神宮は4重の垣根)(『ホツマツタヱ』によると大国主命はスサノヲから与えられた八重垣の特権に慢心してもう一重の垣根を作り天照大神の御所である九重と同じにした事で天照大神はお怒りになり国譲りをせまった とある。)
通常は八足門は閉じられているが、正月三ケ日だけは 開かれ入ることができる。2008年、遷宮によって御神体が仮殿に移されている間は本殿の入口までであれば御本殿特別拝観の期間にのみ入ることが可能であった。そして、現代においても皇室の者といえど本殿の中に入れないというしきたりを守り続けている。
さて、本殿の造りは「大社造(タイシャヅクリ)」といい、伊勢神宮に代表される「神明造(シンメイヅクリ)」 住吉大社の『住吉造(スミヨシヅクリ)』と共に、もっとも古い神社建築様式とされる。
大社造の特徴は、①ほぼ正方形の古典的な日本家屋に近い「田の字」形 ②屋根の向き?と入口が同じ。神明造の特徴は、①長方形で、高床式倉庫から発展し穀物の代わりに神宝を納めるように変化したもの ②屋根の向き?と入口が逆 である。
通常、拝殿の瓦が参拝者側に流れている造りの社は天津神様を奉る社、拝殿の屋根が山の形の様に左右に流れているのが国津神様を奉る社とされる。
出雲大社本殿の高さは24m。この本殿は9本の柱で支える構造となっており、中央に直径109cmの心御柱があり、北と南に直径87cmの宇豆柱が2本、残りの側柱6本は73cm。本殿の広さは6間(11m)4方で119㎡。
また、出雲大社本殿の建物の中心には『心御柱(シンノミハシラ)』という柱があるが、天井まで届いておらず梁(ハリ)を支えている。伊勢神宮にも建物の中心に『心御柱』を持つ構造だが、床下の地面に埋められており床まで届いていない。この柱の事を神宮では『忌柱(イミバシラ):忌は神聖という意味も持つ』という。伊勢神宮にせよ 出雲大社にせよ建物中心の柱は実用とは関わりのない宗教的な意味の柱である。また 昔の民家にあった『大国(大黒)柱』は出雲大社の『心御柱』が由来である。
さて本殿の天井には赤、緑、青、黄、紫、橙、黒を使って八雲之図が描かれている。
高さ約5メートル、約11メートル四方の天井に描かれ、長さ約4~6メートルの七つの雲が配されている。。
現在の本殿が造営された延享元年(1744年)に完成しており、当時の絵師・竹内随流斉甫記 (狩野派の絵師「黒田弥兵衛」という説もある)によって書かれた。塗り直しをせず270年という歳月が経たにもかかわらず鮮やかな色のままだそうだ。
さて、この八雲之図 3つの不思議なことがあり
①一雲のみ逆向きである。
②一雲 ひときわ大きな雲があり その雲のみ黒い色が使われている。
③八雲と言いながら七雲しかない。
これらの理由は 明らかにはされていないが推測するに
①
日光東照宮の逆さ柱にあるように”陽極まれば陰”を避けるため
②
最も大きな⑦の雲は『心の雲(シンノクモ)』と呼ばれ「八雲の図」中唯一の「黒」が使われている。この黒は遷宮斎行直前の午の刻(正午)に塗られ、塗ることを「心入れ」と呼ぶ。(達磨の目を最後に塗るような感じ)「心入れ」する際は「天下泰平、国土安穏、朝廷宝位、仁民護幸給」などが祈られたとも伝えられる。
③
ⅰ8つ目を描いてしまうと そこで完成してしまうので完成しないことで永続性を求めている
ⅱ神魂(かもす)神社の天井には九雲描かれており、そこへ飛んでいった 等が言われる。
神魂神社の本殿は大社造りでは日本最古(1346年の墨書が見つかる)のもので出雲大社が創建されるとき、神魂神社にならって、本殿の寸法は同じ倍率に設計された と伝えられる。
さて、神社は男神を祀る場合と女神を祀る場合 区別がつくようになっている。
また、男神と女神の両方を祀っている神社は、千木は両方共ありますが、その場合は女神が前で、後ろに男神となります。それは、日本の総氏神さまは天照大神で女の神さまだからです。そういう意味で 家庭の神棚も女造となっています。
なお、参考までに宇多須神社の「瑞雲」は 出雲大社の八雲之図からきている と言われる。
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